ゲーセン戦記 ミカド店長が見たアーケードゲームの半世紀を読んだよ

簡単な読んだ感想とか、気になった点など

件名の本を読んだので簡単に何か書いておこうかなと。
関東とかはこうだったんだなー、ということが分かったので良かったかなと。
日本の「ゲームセンター」史 娯楽施設としての変遷と社会的位置づけ の序章p24-25から引用すると

吉田寛が指摘しているが、ゲーム史というものは各国の社会状況や企業史、さらにはユーザーの傾向などによって大きく差異があり、その結果現在の歴史認識にも大きく差異が存在している。そしてゲームという娯楽は自分の周囲にあるもの以外は触れることが難しい。その結果、「同じ地域や時代を生きていたプレイヤーでも経験したゲームタイトルが全く異なり、別々のゲーム史観を持つ、ということが起こりうる。」。その結果、プレイヤーは「「自身の経験の外」が見えにくくなる傾向が顕著にあり」、この点にゲーム研究では気をつけなければならないことを指摘している。

とあって、ゲームセンターって地域性と個人によってかなり違うので、この人・地域はこうだった、というのを残して欲しいなと思っているので、残すという意味でも良いのでは無いでしょうか。
ちょっと気になったのが、p174にある怒首領蜂大往生ブラックレーベルの電池についての記述で

怒首領蜂大往生ブラックレーベル」はデータをバックアップしている電池が切れてしまうとゲームが起動しなくなる仕様の基板であり、起動回数、起動時間があらかじめ決まってしまっている特殊構造のようだった。

とありますが、回数とかで起動しなくなるようにはなっていなかったような記憶があります。実機持ってなくて、以前借りたときにちょっと見ただけなので間違っているかも知れませんが。

スト2初代についての思い出

私の環境の場合、スト2初代の対戦をそこそこやっていたので、対戦についてちょっと書き残しておこうかなと思ったので書いてみます。
スト2初代の稼働当初は主に CPU 戦をやってました。必殺技を出すのが非常に難しく、ほぼほぼ通常技だけでなんとかしようとしていました。最初四天王が出てくる演出を見たときには「おー」と声が上がったような記憶があります。あれは結構インパクトありました。
ある程度操作が出来るようになった頃、テーブル筐体でも対戦をやってました。まだ対戦台というものが無かったため、隣同士に座って対戦をしていたため、コントロールパネルが狭くちょっと斜めからの操作になるので、勝手が違って少し大変でした。
で。おそらく地方ルールだと思うのですが、自分が行っていたゲームセンターの場合、今になって思えば談合っぽいことをしていたなと。
スト2初代はダブルノックアウトになるとラウンド10まで続きます。そのため最初はちゃんと対戦をしますが、体力が残り少なくなったら体力を調整してダブルノックアウトをしてラウンド10まで遊んで、ラウンド10で真剣に対戦をする、という遊び方をしていました。リュウ・ケンの対戦だったら距離を合わせて、せーので遠立大キックを出すとダブルノックアウトになるとか、そういうのをなぜか皆知識として共有してました。
これは小さなゲームセンターで、お客さんがほぼほぼ知り合いみたいな感じだったからかもしれません。当時は1コインで長く遊べるか、が重要だったので、皆長く遊びたくてこんなことしていました。
という感じで、ゲームセンターについては個人差というか地域差がすごくあると思うので、いろんなゲームセンターやゲームの話を書き残しておいた方が良いのかなーという気持ちがあります。書けていませんが。